4輪車も製造していたことのあるイギリスのバイクメーカー

アリエルという名前は、1870年にウイリアム・ヒルマンとジェームズ・スターレーが発明した、ワイヤースポークホイールによって製造可能になった軽量自転車につけられたところから始まります。

その由来はシェイクスピアの戯曲などで見られる空気の精霊の名前で、その後2人が設立したミシンとペニー・ファージング自転車製造のための工場の名前にもなりました。

その後、現在主流となっているタイプの自転車が発明されると、ペニー・ファージング自転車は姿を消していき、アリエルも忘れられていくことになります。

1896年、ウエストウッドマニュファクチュアリングと合併、2.25馬力のドディオン製エンジンを車体後部に搭載した三輪車を製造し始め、アリエル最初のエンジン付き乗り物となりました。

この三輪車の生産数が多くなった頃、ヒルマンがアリエルを去りプリメアモーターサイクルを設立しています。

 

1902年、コンポーネンツ社に買収されてからのアリエルでは、バイクと4輪車を生産し始めます。

第一次世界大戦が始まったことにより工場は一時閉鎖しますが、戦争が終わるとチャールズの息子によってアリエルでのバイク生産が再開されます。

その時発売したホワイト&ポップエンジンという4馬力エンジンがヒットし、成功しています。

さらにヴァル・ページをデザイナーとして迎え入れ、バイクのラインナップを拡大、1926年になると4輪車製造から撤退してバイク生産に専念することになります。

 

財政難に陥っていたコンポーネンツ社が1932年に破産すると、ジャック・サングスターによってアリエルの支配権が格安で買われ、バーミンガムの新工場建設とともに社名もアリエル・モータースと変更されています。

新工場になってから製造されたレッドハンターやスクエアフォアは、後にアリエルの代表モデルとなります。

また、他のバイクメーカーと同様にアリエルでも第二次世界大戦中は、軍用バイクを生産していました。

アリエルは1944年にはBSAに売却され、1950年代後半からバイク業界に訪れた不況に対し、ラインナップを絞るなどの対策を取りましたが、1967年にはバイク製造中止、BSAが1970年にアリエルの名前をつけたモデルが生産されますが、長くは続きませんでした。

 

アリエルの主なモデルと特徴

アリエルのラインナップで主なものとしては、250、350、500ccで出していたOHV単気筒のレッドハンター、このレッドハンターがベースとなった軍用モデルのW/NG 350、995ccスクエア4気筒のスクエア・フォア、250cc2ストロークのリーダー、リーダーのスポーツモデルであるアロー、598ccのSV単気筒のVB、並列2気筒の500ccであるフィールドマスター、バディ・ホリーが乗っていたことで知られるサイクロンがありました。

また、650cc並列2気筒でBSA製のA10エンジンを搭載したハントマスター、BSA製の50ccエンジンを搭載したピクシー、350、500ccモデルがあったトライアルのHT、スクランブラーのHSもありました。

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